豆知識
聖書の豆知識コーナーへ心から歓迎します!
ここでは貴方が聖書を読まれる時のヒントが与えられろように
いろいろな角度から描いてみたいと思います。
地理的背景ー@
聖書の地理的背景はイスラエルを中心にアジア、アフリカ、ヨーロッパにまで及びます。
一年は二つの季節、長い夏と通常の冬に分かれます。3月には草花が一度に芽生え、
茶色い土地が短期間で青々としたジュータンで覆われチューリップ、グラジオラス、
赤いアネモネ、黄色のクロッカスなどが咲き乱れます。愛の詩歌のうちもっとも
優れている「雅歌」の中に歌われているとおりです。「見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、
すでに去り、もろもろの花は地に現れ、鳥のさえずる時がきた。山鳩の声が
われわれの地の聞こえる。イチジク木は実を結び,ブドウの木は花咲いて
かんばしい匂いを放つ・・・」
地理的背景―A―二つの湖
イスラエルとヨルダン王国の境界線をヨルダン川が流れています。
この流れを通してガリラヤ湖と死海が生まれています。
ガリラヤ湖は地中海水面下208m。すり鉢状の地形から突然、突風が
起こり(マルコ福音書4章37節)天候が一変することもあります。
又、魚の豊富な湖である時153匹の大きな魚が取れた
(ヨハネ福音書21章11節)とありますが、
それは153種類の魚とも言われます。驚きです。
死海は地中海水面下370m。その水は油のように不思議な液体で、
人間の体は浮き上がったまま沈むことはありません。
臭素、天然ガスが豊富で、そこの泥は化粧品、石鹸で珍重され有名です。
食生活−@―イナゴを食べる
会堂建築にボランティアできていた米国人、ディビットが食膳に饗した
イナゴの佃煮を一つくださいとのこと。これをアメリカにいるガールフレンドに
郵送し、「日本ではこれしか食べるものがない」書いた。ジョークですが
こんなに美味しいものはありません。
バプテスマのヨハネも[イナゴと野蜜]を食しました。(マタイ福音書3章4節)
しかしこの珍味を食べたのは彼だけではありません。イナゴは800種類ほど
あります。 それらは水と塩でゆで、食べました。調理すると小エビに似た味が
あり、また頭や脚を取って太陽に干し、その後、蜜あるいは酢に漬けたり、
粉末にしたりしました。 このイナゴ、パレスチナではしばしば、
ある種類のイナゴが大群をなして飛来し太陽を隠してしまうほどで、農作物に
対する被害は甚大なものがあります。(ヨエル書2章)
あなたはイナゴに食われるか?イナゴを食うか!!
食生活―A―天からパンが降る
パレスチナの貧民および一般市民の大部分は種々のパンを主食に
していました。[パンを食べる]という表現は(創世記31章54節、マルコ福音書3章20節)
にあります。これがパンが食事の大切な要素であったことを示しています。
エジプトを脱出したイスラエルの民たちは荒野で40年間、天から降るマナ
(これは何んだろう)を毎朝、野で集めて料理して食べました。(出エジプト16章15節)
貴方も毎日、生けるマナ(聖書のことば)を読んで食べ、一日の力とすることができます。
それは美味しいクリーム味(民数記11章8節)です。主イエス様は発酵力を神秘的な
発展力の象徴として神の国の奥義の説明をされました。(マタイ福音書13章33節)
「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、
永遠に生きます。」(ヨハネ福音書6章51節)
食生活ーB―食卓テーブル
イエス様の時代の食卓は15Cのレオナルドダビンチの描いた
―最後の晩餐―によるとテーブルと椅子式で描かれています。
このHPのプチ画廊欄もダビンチ風ですね。覗いてください。
さて、実際にはギリシャ=ローマ風の様式、すなわちベット
あるいはクッションのついた長椅子のようなものの上に横になって
食事をする方法が普及していました。もしそうでなければ
罪ある女がイエス様のところに来て足に香油を流し、それを髪で
拭いとったことも、晩餐のあいだに若い弟子ヨハネがイエス様の
[胸によりかかる]ことができたことも理解できます。
そして食卓の座席順は厳格に守られていました。創世記43章33節。
名前―その名をイエスとつけなさい
名前の選択は非常に重要なものだと思います。一般に名は性格や運命にまで
影響を及ぼす人格の構成要素であると考えられてきました。
現代ではそうしたことは薄らいできているのかもしれませんがーーー
エジプト脱出のリーダーの一人にモーセの姉ミリアムという人物がいます
彼女の名の意味は[神の愛する者&強い人]です。原語が変わると元の意味合いは
変わってきます。いろいろな言語でのミリアムを見てみましょう。
アラム語―マリイ、ギリシャ語―マリア、イタリア語―マドンナ、フランス語では
ノートルダムとなるそうです。いかがですか。
旧約聖書の名はしばしばミリアムのように新約聖書では別の名前のようになります。
私たちの救い主イエス[神は救う]は旧約聖書ではヨシュアです。
「主の使いがーーその名をイエスとつけなさい」マタイ福音書1章21節
生活ー@―住居
イエスキリストの時代、普通の人、貧しい農夫の住居は草を混ぜた
練り土、あるいはすこしよくして足で踏み固め、わらを混ぜ、炉で
すこし焼いた煉瓦をもって作った。どちらにしても家は容易に泥棒に
よって穴をあけられた。イエスがその事実を語った時、すべての者は
これを容易に理解できた。(マタイ福音書6章19節、24章43節)
土台には綿密な注意が払われた。嵐と雨が家を流さないように
[岩の上の建てる](マタイ福音書7章24節)ことに努めた。
屋根は梁の上に置かれたにすぎなかった。たいていは固めた土を
かぶせた編みそだで造り、毎年雨期の前に修繕をする必要があった。
それは非常にうすく、すぐに大きな穴を開けることができた。
福音書にあるように中風の人を釣り降ろすことができたわけである。
(ルカ福音書5章19節)
住居−A―照明
ユダヤの家は大いに照明が必要でした。紛失したドラクマ(銀貨)の
たとえ話はそのことを語っています。失った大切な小貨を見つけるために
ランプにあかりをつける必要がありました。(ルカ福音書15章8節)
それは円あるいは楕円形のひじょうに平たい小さな素焼きの容器で、
穴が二つあって、一つの穴に灯心,亜麻あるいは大麻を通し、もう一つの
穴から注油した。富者は青銅器のランプを用いた。
これらのランプは室内にオリーブ油の甘いがいくらかくさい臭いを
発散した。質素な家ではランプは一つしか使われなかった。詩篇118篇
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」イザヤ書
9章2節「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。――」
聖書はみ言葉やイエス様ご自身を光と記述している。
職業ー@―羊飼い
イスラエルの民が農耕者として定着するまで彼らは天幕に住み、家畜を
牧場から牧場へと追いながら旅をした。こども一人で1ダースぐらいを
任せることはできたが聖書には1千頭,1万頭の群れの記述があり、
このような大群は熟練した男にのみ委ねられたであろう。
事実これは容易な職業ではなかった。家畜群は戸外で一年の大部分を
過ごさなければならなかった。羊はしばしば一本の脚に尾を結わえ迷い
出ないようにされたが、犬が連れ戻せないほど遠くへ行ってしまうものも
つねにいた。その時、羊飼いは自ら出かけなければならなかった。
ハイエナ、きつね、その他の野獣も近寄ってきた。このため羊飼いは
丈夫な鉄をまいた棍棒と大きなナイフを持っていた。[羊のために命を
与える善き羊飼い](ヨハネ福音書10章11節)は神話ではなかった。
職業―A―農夫
カナン(パレスチナ)の土地は非常に肥沃であった。イスラエルが
カナン征服前、偵察した時、斥候が持ち帰った果物の記述,民数記
13章23節「ぶどう一ふさを二人が棒で担いだ」とあり、驚きである。
耕作者は右手ですきの草切りの柄を取り、左手でドルバンすなわち
家畜を追い土くれを砕くために使うさし棒を持った。ひとたびすきに手を
かけたならば、直前を見て後を見てはならなかった。イエス様はこのことを
観察しておられた。(ルカ福音書9章62節)
その労働は労力だけでなく最新の注意が必要であった。又、危険な仕事でも
ありました。砂漠の風は若芽を枯らし雨は十分降らないことがあった。
毒麦、その種子を食べると病気になり、人の気づかないうちに畑をさんざん
荒らすことがあった。というのはその若いときは麦と区別がつかないからです。
(マタイ福音書13章24〜30節)
職業ーB―漁夫
漁夫の生活の情景が福音書の中に多く見受けられます。
キリストは彼らのうちから最初の弟子を選びました。彼らの多くは
ガリラヤ湖のほとりにいた。福音書を読むと湖岸の住民の大部分は
この仕事に従事したと思われる。ベッサイダは[魚場],マクダラは
[魚の塔]あるいは[干し魚]、の意味といわれる。
彼らは激しい気性、厳しい性格、熱烈な精神を持っていたらしい
イエス様は彼らの二人、ヤコブとヨハネを[雷の子]と呼ばれました。
後にヨハネは[愛の使徒]と変えられます。イエス様はまさに着手
せんとする[贖いという大事業]のために、勇気と熱意に満ちた
たくましい若者たちを招きました。「わたしについてきなさい
あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」(マタイ福音書4章19節)
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